『復讐するは我にあり』
『復讐(ふくしゅう)するは我(われ)にあり』(Vengeance Is Mine )は、1979年に映画化もされた佐木隆三の小説のタイトルですが、『私が復讐してやる』とか『復讐の相手は自分自身だ』という意味ではありません。
『復讐は神である私に任せなさい。』という意味です。人間は人間に対して、決して復讐心など抱いてはいけないと言っているのです。
憎しみに対して『憎しみ』を返すのではなく、『愛』を返してあげなさい、と言っているのです。
もともとは、
『主(しゅ)いわく、復讐するは我にあり』(Vengeance is mine, saith the Lord.)
という聖書の一節から取られたものです。
※Vengeance=復讐(ふくしゅう)
※saith=言う(”says”の古い形)
私はいわゆる『日本的な仏教徒(葬式仏教)』ですが、子供の頃、聖書に、『もし、あなたが右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出しなさい』という言葉があると聞いたとき、何をバカなことを言ってるんだ、と思いました。
『殴られたら殴り返す』ことが当たり前だと思っていました。子供の私だけでなく、99%の人間はそう思っていたし、今でもそう思っていることでしょう。
しかし、そんなわたくしも、何十年か生きてきて、『あっ、そういう意味だったのか』と、腑(ふ)に落ちました。
私の頬をぶった人間は『悪い人間』です。
もしも、私が殴り返したら、私も『悪い人間』になってしまいます。
どちらの人間も、『決して、幸せになることはできません』。
この『悲しみの星』の上で、『永遠に苦しむ』ことになるのです。
ですが、もしも私が殴り返さずに、(腹が立つのはちょっとだけ横に置いておいて)『相手の幸せを願う』行動をとったらどうでしょうか。
相手も、私も、少しだけ救われる方向にシフトするのです。
ああ、これって『宇宙の創造原理』じゃん、と思いました。
『宇宙の創造原理』に近づけば近づくほど、『苦しみから解放される』ことになるなぁ。
『引き寄せの法則』がどんどん働くようになるなぁ、と気づいたのです。
復習を神に任せろというのは、神の大いなる愛です。
復讐心は、あなたをとても苦しめることになるのを、神様は知っておられるのです。
だから警告しているのです。
そういうことだったのか・・・
気づくのに何十年もかかってしまいました。
★マドモアゼル・愛さんは、やや別の角度からお話されていました。
復讐は神に任せる
50,235 回視聴 2021/12/19
多くの人が最後に乗り越えねばならないものが、復讐心です。 私、復讐心なんかありません、、、と考える人は多いと思いますが、形を変えた復讐心であることが多いのです。 この世が悪の世であるとしたら、悪は人に復讐心を持たせ、それを刺激することを良しとします。なぜなら、人が復讐心で行動し人生を設計する時、悪の世は自動的に拡大するためです。 私たちの人生をダメにし、その存在を無意味化させる罠として、復讐心を捉える必要があります。 では、復讐心をどのように扱えばよいのでしょうか。復讐を神に任せた時、不思議な安堵と大きな次元の異なる幸運が私たちに舞い込むようになっています。暮れも近づいてきたこの時期、一年の反省をこめて、人生の巧みな罠にもなりえる復讐心について考えてみたいと思いました。