『一粒の豆』が『人生の支え』になった母親の話

2022-06-16雑記帳人生

『気配りのすすめ』

『気配りのすすめ』は、NHKのアナウンサーだった鈴木健二さんが、1982年に出版し、400万部を越える大ベストセラーになった本です。

私も読みました。

当時の鈴木健二さんは、大人気で、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。人気が嵩(こう)じて紅白歌合戦の司会も務めるほどだったのですが、

『私に1分だけ・・・1分だけ時間をください!』

と言って、引退を決意していた都はるみさんに、アドリブでアンコールをお願いするという大事件がありました。

1984年、昭和59年の話です。

この5年後の1989年に、昭和が終わり、平成が始まるのです。

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今はもう21世紀になってしまいましたが、

『私に4分だけ・・・4分だけ時間をください!』

と、路上の人々に叫んでいた女性シンガーソングライターがいましたね。

2015年、平成27年のことです。

この4年後の2019年に、平成が終わり、令和が始まるのです。

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さて、『酸欠少女さユり』さんのは話はどうでもよくて、『気配りのすすめ』で紹介されていたエピソードの話です。

『一粒の豆』が『人生の支え』になった母親の話

”一粒の豆”


私は一粒の豆を自分の生きがいにしている奥さんを知っている。
その奥さんには二人の息子さんがいて、ご主人はすでに亡くなっているから、正しくは妻の役割はすでになく、母親としての役割だけの立場だが、母親がどう振舞うことがこどもにとって最高の教育であるかということを身をもって示した方なのである。


この一家に悲劇が訪れたのは上の子が小学三年、次男が小学一年のときである。ご主人が交通事故で亡くなられたのだ。とても微妙な事故だったが、最後には、亡くなられたうえに加害者にされてしまった。そのため、土地も家も売り払わねばならず、残された母親とこども二人は文字どおり路頭に迷うことになった。


各地を転々とした後、やっとある家の好意にすがって、その家の納屋の一部分を借りた。三畳くらいの広さの場所にムシロを敷き、裸電球を引き込んで七輪を一個、それに食卓とこどもの勉強机をかねたミカン箱一つ、粗末なフトンと若干の衣服……これが全財産であった。まさに極貧の生活である。


お母さんは生活を支えるために、朝六時に家を出て、まず近くのビル掃除をし、昼は学校給食の手伝い、夜は料理屋で皿洗い、一日の仕事を終えて帰ってくると、もう十一時、十二時。だから一家の主婦としての役割は、上のお兄ちゃんの肩にすべてかかってきた。

そんな生活が半年、八ヵ月、十ヵ月と続いていくうち母親はさすがに疲れ果ててしまった。

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母親は二人のこどもをみちづれに死んでしまおうと考えるようになったそうです。
そんなある朝、長男宛てに置手紙をして、いつもの仕事に出ました。

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「お兄ちゃん。おなべに豆がひたしてあります。これをにて、こんばんのおかずにしなさい。豆がやわらかくなったら、おしょうゆを少し入れなさい」

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その日も夜遅くまで働いて、帰ってきました。
実は母親は帰り道で睡眠薬を買っていました。
今日こそ死んでしまおうと決心していたのです。
二人のこどもたちは、もう寝ています。
ふと、長男の枕元に手紙が置いてあるのに気づきました。

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「おかあさんへ」


「お母さん、ボクはお母さんの手紙にあったように一生けんめい豆をにました。豆がやわらかくなったとき、おしょうゆを入れました。でも、夕方それをごはんのときに出してやったら、お兄ちゃんしょっぱくて食べられないよといって、つめたいごはんに水をかけてそれを食べただけでねてしまいました。


お母さん、ほんとうにごめんなさい。でもお母さん、ボクをしんじてください。ボクはほんとうに一生けんめい豆をにたのです。お母さんお願いです。ボクのにた豆を一つぶだけ食べてみてください。そして、あしたの朝は、どんなに早くてもかまわないから、出かける前にかならずボクをおこしてください。お母さんこんやもつかれているんでしょう。ボクにはわかります。お母さん、ボクたちのためにはたらいているのですね。お母さんありがとう。でもお母さん、どうかからだをだいじにしてください。ボク先にねます。お母さん、おやすみなさい」

母親の目からどっと涙があふれた。
「ああ、申し訳ない。お兄ちゃんはあんなに小さいのに、こんなに一生懸命生きていてくれたんだ。」
そしてお母さんは、こどもたちの枕元に坐って、お兄ちゃんの煮てくれたしょっぱい豆を涙とともに一粒一粒おしいただいて食べた。

たまたま袋の中に煮てない豆が一粒残っていた。お母さんはそれを取り出して、お兄ちゃんが書いてくれた手紙に包んで、それから四六時中、肌身離さずお守りとして持つようになった。

鈴木健二著『気配りのすすめ』(1982年)